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矢張は矢張としてできうる限り、重々しく偉そうに宣言してみた。本人としてはあの禿頭の裁判長を真似してみたつもりだったが、ちっとも似ていなかった。 「こ…」 「んん〜?何かイギがあるんですか、ミツルギ検事?」 まいったか、とばかりに腕を組みながら御剣を見れば、切れ長の目がまん丸になっている。 「つまり、そういうこった。まずは相手のハートをグワッチリと鷲掴みにしてからだな、それから思う存分ホワホワすりゃいいんだ。欲望のままに突っ走るのは、ま、男としてサイテーだからな」 「こ…」 「こ?」 なんだか様子がおかしい。 いや、おかしいのは最初っからだが、更におかしい。 硬直してる。 折角、右手の人差し指で二の腕をパフパフ叩きながら『御剣検事』の真似までしてやったというのに気がついてない。 「…おい、ミツルギだいじょぶか?お〜い」 目の前でパタパタと手を振ってみた。 (反応がねぇ…) 「おい、これから10数える。10数え終わる前に返事がなかったらオレは帰るぞ。んでもって、勘定は当然おまえだからな、忘れんなよ」 『10数えるぞ』ルールは小学校の時の名残だ。学校にリコーダーとか算数帳だとか、いわゆる宿題を忘れてくることの多かった成歩堂が「ちょっと待ってて!」と教室に駆け戻ろうとするたびに「10数え終わる前に戻ってこなかったら先に帰るからな」と、校門ででっかい声で10数えたものだ。 10数年前のこととはいえ、はっきりと憶えている懐かしい光景。 「い〜ち〜、に〜い〜、さ〜ん〜…」 そんな感傷はともかく、さっさと数え始める矢張。 御剣はまだフリーズしている。 もっともこのルール、「ルール」とは言っても「『10までに戻って来い』という心理的負担を与えて迅速な帰還を促すテクニック」だったのだが、それは御剣にとっての話。矢張の方は本当に帰るつもりだった。幸いにも成歩堂が置いていかれなかったのは、ただ単純に彼の足が速かったからに他ならない。 当然、今日もこのまま10まで数え終われば帰る予定の矢張だ。 「…し〜ち〜、は〜ち〜、く…」 「……待て」 なんとか正気に返ったらしい。 「うん、ギリギリ間に合ったな」 「や…矢張…」 「なんだ」 「こ、こ、恋なのか…?」 「恋だろ。相手がラブラブ〜になってくれなきゃ、紳士たるもの何にもできねぇよ」 「…わ、私はただ触れてみたいだけで…」 …なにやら会話がずれている。 「まさか、お前…」 どうやら自分の感情が何なのかわかっていないらしい。 (奥手にも程度ってもんがあるだろう…ニジュウヨンで初恋ですかい) しかし、そこがいかにも御剣らしいところか。 「仕方がねぇ、オレがちゃんと教えてやろう。お前のその『ホワホワきゅんきゅんしたい』って気持はな」 「いや『きゅんきゅん』したいわけではない」 「黙って聞けよ、とりあえずその『ホワホワ』は『恋』なんだよ」 「こ…」 「恋だ」 「恋!?」 「そう、恋だ。証言してもいいぜ」 「証言はいらん…こ、恋なのか、これは!?」 「まごうことなくバッチリ恋だ」 「…な、な…なんということだっ!」 そう叫ぶと御剣はテーブルにものすごい勢いで突っ伏した。額を打ったのだろう、ゴンっという鈍い音まで聞こえた。 (女に惚れったってのがそこまでショックなのか…?) この男の思考はよくわからない。が、あえて詮索をしないでそんなものかと納得してしまうところが矢張の長所であり、短所でもある。 「おまえがどう思っているかしらんが、恋なのはカクジツだ」 「だ、だ、…だとしたら私は一体…」 「うん、そこからが本題ってことだなぁ」 4杯目のお茶を受け取りながら、矢張は御剣との待ち合わせにまっ昼間のトンカツ屋を指定したことを、ほんのちょっぴりだけ後悔した。トンカツはうまかったが、ソッチの話はやっぱり夜にやるべきものだろう。男同士、酒を酌み交わしながら… (って、御剣と?) ようやく面を上げた御剣はさっきまで真っ赤に茹だっていたはずなのに、今度はなぜだか青ざめている。目付きはあいかわらず…いや、さらに鬼火も漂うようなおどろおどろしさまで加わった。 「…いや、ヤメとこ」 「何がだ?」 「こっちの話だ、気にすんな…で、ま、本題はだな…」 そう、本題だ。 御剣に「女の攻略法」をレクチャーしなければ。 (ここはまさにオレの独壇場ってとこだな) 相手に惚れたとなったらとりあえず、あらゆる手を尽くして攻略するのが矢張のポリシー。そんな彼のもう一つの異名は「愛の挑戦者」…そして成功率も意外と高い。 そのコツは相手に合わせて演出を考えるところにある。女の子が100人いれば100通りの言葉があって手順があるのだ。 『恋愛に駆け引きはかえって邪魔。プライドなんてひとまず置いて、本気と本能で攻めるべし!』 これが案外うまくいくのである…ただし長続きはしないのだが。 (でも…) 御剣にそれができるだろうか? 臨機応変なフットワークの軽さはそれなりに経験を積まねば身に付かない。友達相手に色恋沙汰を相談するくらいでこれだけ挙動不審になっている人間に、それを要求するのははなっから無理というものだ。 となれば、相手に合わせたアプローチより、御剣の御剣らしさを生かした戦法の方が勝機はある。 そして相手は美人で巨乳のオネェサマ(と矢張は勝手に思い込んだ)。 (となると…) 「まずバラだな」 「バラ…?」 「豚バラじゃないぞ」 「そのくらいわかっている」 「できるだけ派手にいったほうがいいなぁ…お前派手だから」 「…私が派手か?」 「派手だな。ま、そこは誠意の見せ所だからなっ、検事サマの給料ならいくらでもすごいのが買えるだろ?」 「どう思っているのか知らないが、検事は特別公務員だ。それほど高給なわけではない」 「それでもオレよりは多いだろ。で、だな…」 プンプルプンプンプンプルプルプル プンプルプルププ プププププルプ 意味深に声のトーンを落とした演出効果をぶち壊すがごとく、いきなりハイテンションな電子音がぬるい日差しの店内に響いた。 脳天に響く大音量は、矢張のジャケットの胸元から発せられている… 「鳴っているぞ」 「あ…って、今…」 取り出した液晶画面を覗き込んだとたん、顔色が変わった。 「ヤベッ、遅刻っ!!」 5時からの開店に合わせ、シフト前に入っていなければいけないバイトなのに壁の時計はとっくに時刻を回っている。 「じゃ、ともかくそーゆーことだからなっ!ガンバレっ」 ガタガタと騒がしい音と共に、矢張は慌てふためいて去っていった。午後のトンカツ屋にようやく静けさが戻ってくるなか。
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